内向型警備員の読書ブログ

内向型人間の生き方

人生を楽しく過ごす

「現代人の死生観を問う、大阿闍梨最期の言葉」と帯にあるように、現代人の生き方に対する酒井さんの言葉が、色々なエピソードとともに書かれています。

今を楽しく生きる

本書は酒井雄哉さんの妹、慶子さんの「まえがき」から始まります。

酒井さんは生前、慶子さんが色々な悩み事や心配事などを相談すると、次のようにお話されたそうです。

”いろいろ心配なこともあるだろうけど、人生の流れというのは仏様の計らいだからね、なるようになるものや。今日一日をどう楽しく暮らしたらいいかと考えていたら、なんとかなっていく。いまを楽しくすることを考えていたら、人生はなんとかなるんだよ。”(まえがき)

50歳の手前から「千日回峰行」という荒行に挑み、一度ならず二度も満行された大阿闍梨の口からでる「仏様の計らい」という言葉。

すごい重みです。

行動・実践・経験が大事

”知識として知っていることがあっても、自分で経験してみるとまたちがうってことがいろいろわかる。(中略)だから、知識を得るだけでなくて、行動して実践してみることだよ。そうすることで、知識と自分自身の知恵がかさなるんじゃないかなあ。”

”やってみないと、他人の本当の気持ちはわからないでしょう。人を責めたり傷つけたりする人が増えているのは、自分自身がその経験をしてないからだよ。(中略)自分が経験していたら、周りの人との向き合い方も変わるんだけどなあ。”

(第二章 「どんな回り道にも意味がある」)

現在ネットやメディアを騒がせている問題の本質をズバリ突いた言葉だと思います。

上っ面の事象だけで他人を叩く。

そして散々叩いた後に真逆の真実が出てきたら手のひら返し。

自分自身の経験や行動を伴わない知識ほどやっかいなものはありません。

”知識ばっかりで行動しないのは、賢いんだけどバカ。「賢バカ」だよ。知識は経験を通じて自分の知恵になるんだからね。”

(第二章 「どんな回り道にも意味がある」)

ネットやメディアでは毎日いろいろな人が情報を発信しています。

その情報がたんなる「知識」なのか、それとも発信者の経験による「知恵」なのか。その見極めが大切ですね。

自分の本線を定める

本書に限らず、酒井雄哉さんの本を読んでいると「自分の本線」という言葉がよく出てきます。

”本線なんて単純なんだよ。わしも若いときそうだったけど、妄想のようなことばかり考えていると、時間だけが過ぎていって、いつしか自分が何者かもわからなくなる。最終的に自分は人生をどうしたいのか、何をめざすのか、しっかり考えることだよね。”

(第二章 「どんな回り道にも意味がある」)

自分自身を振り返ってみても、なんとなく高校や大学に進学し、とりあえず入ることのできる会社に就職する。自分の人生について何も考えずに来た半生だったように思います。では一体、どうすれば自分の本線が見つかるのか。そんな悩みにも大阿闍梨は答えてくれています。

”「本線」というのは自分の能力に合った道ということ。「見つける」というよりは「決める」んだよ、自分で。”

(第二章 「どんな回り道にも意味がある」)

”歩くってのは、自分をどこかに向かって動かすということ、だから必ず何かが変わっていく。歩くことは生きることだよ。”

(第三章 「自分の本線が定まると人は強くなれる」)

「犬も歩けば棒に当たる」ではありませんが、とにかく何かをやってみる。どんな小さな波風でも立ててみる。人生これに尽きると思います。

それでも失敗が怖い。そんな人にはこんな言葉も。

”仮に失敗したとしても、それはそれでいいんだよ。たとえ失敗をしても、その失敗を糧にして、次へと進むことができるからね。”

”人間は与えられた環境によって、よくもなれば、社会のルールから外れてしまうこともある。外れても、本線を見失わないで戻ってくればいいんだよ。”

自分という人間の枝葉がいくらボロボロになっても、「自分の本線」という幹さえしっかりしていれば決して倒れることはない。

「自分の本線」という言葉にはそんな力強さがあります。

おわりに

”行に終わりはない、無始無終や。人生も同じ。生きているかぎり、行は続くんだよ。自分の本線が定まると、人は強くなれる。いいかげんで、ちゃらんぽらんだったわしも、本線が定まって、フラフラしなくなった。”

”人間は生まれたときから行をやっていて、死ぬまで行なんだよ。”

(第三章 「自分の本線が定まると人は強くなれる」)

私自身、50歳を超えてもまだまだ「自分の本線」を見つけられていません。

もしかしたら何も見つけられないまま一生を終えてしまうかもしれない。

しかし、それでもとにかく死ぬまで生きて、人生という「行」を完遂する。

生きることそのものが「行」だと覚悟できれば、つらい人生もなんとか生きていけそうな気がします。

最後に、そんな明るい未来が想像できない自分のような人たちに向けた、今日一日を生き抜くための、酒井大阿闍梨のお言葉を・・・

”辛いこと、苦しいこと、生きていれば、ボロボロになるようなことがあるよ。だけど、今日の終わりとともに、それも今日でおしまいにするの。明日はまた新しい自分になる。それが「一日一生」ってことだよ。”

(第一章 「死は終わりではない」)

人生を楽しく過ごしなさい 現代人の死生観を問う、大阿闍梨最期の言葉 [ 酒井 雄哉 ]

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愚か者であれ

”素直で正直、器が大きなアホであれ!”

バイオテクノロジーの世界的権威である村上和雄先生がたどり着いた、究極の知恵が詰まった一冊です。

大きく深い鈍さをもて!利口であるより愚直であれ!など、世間でよく言われている、いわゆるデキる人とは真逆の生き方を教えてくれています。

今の自分に自信がもてない人や、学校や会社などの競争社会で生きづらさを感じている人など、悩める現代人にとって必読の書です。

鈍いけれど深い生き方

著者の村上先生は日本のノーベル賞受賞者の共通点として、次の四項目を挙げています。

  1. 外国での評価が高いわりには日本での認知度が低い。
  2. その分野では決して主流派ではない。
  3. 事前の下馬評(特にマスコミ)が当てにならない。
  4. 謙虚で控えめな人が多い。

これらを踏まえて村上先生はおっしゃっています。

”要するに、いい仕事をする人、優れた成果をあげる人は、謙虚で控えめで、日が当たろうが当たるまいが、いばることなく、くさることなく、自分の道をコツコツと歩む。そんな、いっけん「でくのぼう」にも見える特性を備えている人なのだと思います。”

テレビや雑誌などのマスコミでは、押しの強い、イケイケの人たちの成功体験がもてはやされていますが、本当の成功者というのは上記の先生の言葉のように、目立たないところで地道にコツコツと社会を支えてくれている人たちなのかもしれませんね。

愚か者こそ幸せ者

”鈍さや愚かさ、正直や真面目さといったものは、生き方としては曲線的で、目的地まで遠回りを余儀なくされることが多いようです。しかし、その分たしかな道を自分の前に開き、生の重心をしっかり定めてもくれる。そういう確信が私にはあります。”

若い頃は、「真面目」とか「正直者」といわれるのがとにかく嫌でした。事実、周りもこの言葉を、あまり良い意味では使っていなかったのではないでしょうか。

現在53歳である私たちの世代は、10代の頃がバブルの絶頂期。何事も要領よく、面白おかしく生きなきゃ損、とされた時代でした。そんな中で、真面目しか取り柄のない自分のような人間は、薄っすらバカにされていたように思います。

”天は見ているのです。見ていないようで必ず見ている。何を見ているかといえば、どれだけ成果をあげたかではなく、どれだけプロセスを一生懸命に努めたか。かしこく要領いいやり方よりも、不器用だが真面目で愚直な生き方。そういうものを天はよく見ており、また高く評価もしてくれるのです。”

イソップ童話の「ウサギとカメ」や「アリとキリギリス」そのままの言葉です。

現在では色々と解釈されて、必ずしもウサギやキリギリスが否定されるものではありませんが、根っからの「カメ」「アリ」気質の自分としては、とても励まされる言葉です。

ゆずり合い、助け合う「利他的遺伝子」もある

「情けは人のためならず」

よく間違った解釈で使われがちなことわざですが、本来は、他人に親切にすることでその人のためになるだけでなく、やがては自分にもよい報いとなって返ってくる、という意味です。そして、そのようなことが遺伝子の世界にもあるようで、著者の村上先生もこうおっしゃっています。

”遺伝子には自分だけが得しようというエゴ志向もあるが、その半面、他人を助けよう、人のために行動しようという利他志向もちゃんとあって、それはそのまま、利己的であると同時に利他的である、いや、利己的である以上に利他的であるという人間本来の特質に反映されているのだと思います。”

「利己的であると同時に利他的である、いや、利己的である以上に利他的であるという人間本来の特質に・・・」という部分が、とても印象的です。

テレビやネットのニュースなどを見ているとにわかには信じがたいかもしれませんが、本来人間はそのようにして進化してきたのだと思います。

”利己は利口に通じて、すばやくかしこい方法かもしれないが、そこから得るものは浅くて小さい。一方、利他は遠回りで時間もかかる「愚かな」方法ですが、大きくて深い果実が手に入るのです。”

おわりに

本書のタイトルである「アホは神の望み」ですが、いったい神が人間に望んでいるものは何なのか?その一つの答えとして、村上先生は「愚かさを守る」ことを挙げています。では、その「愚かさを守る」生き方とはどういうものなのか、少し長くなりますが引用させていただきます。

”時代遅れで融通もきかず、利にも疎いが、焦らず、いばらず、くさらず、わずかなことで満足を覚え、不平不満よりは感謝の言葉が多く(中略)そんな鈍く、遅く、重い生き方をしながら、自分の中の「愚」をひそかにしっかりと守ること。その深く大きな愚かさを生涯かけて貫くこと。神が望んでいるのはそういう生き方ではないでしょうか。”

時代の波に乗って成功する。そういう生き方を目指すのも素晴らしいことですが、本当の意味で世の中を支えているのは、それぞれ自分の役割を、地道にコツコツと為していく人たちなんだと思います。

一生懸命がんばっているのに評価されない、まじめに生きてきたのに何もいいことが無い、そんな自分の愚かさが嫌になってしまった人には、ぜひ読んでもらいたい本です。

アホは神の望み (サンマーク文庫) [ 村上和雄 ]

人生を半分あきらめる

”「人並になれない自分」に焦り苦しむより、人生を半分あきらめながら生きることが、心の奥深く満たされて生きる第一歩となる。”

本書裏表紙の一文ですが、私自身、「人並になれない自分」につねに悩みながら生きてきました。そして40歳を超えた頃、出世も結婚もできない自分に嫌気がさし、自暴自棄になりかけていた頃、この本に出会いました。

人生は「小さなあきらめ」の積み重ね

”この生きづらい時代に私たちに必要なのは、むしろ、人生を「少しずつ、少しずつ、じょうずにあきらめていく」知恵と工夫です。”

”人生に対する「小さなあきらめ」をじょうずに重ねていく。無理がないように、無理がないように、過酷な現実を受け入れていく。そんな工夫が必要です。”

人生をあきらめて全てを投げ出してしまうのではなく、小さくあきらめる。

本書の最終章にも出てきますが、「人生を9割あきらめても、残り1割を本気で生きる」。そのための方法が、この本には書かれています。

「あきらめ」は「頑張り」よりも難しい

この理不尽だらけの人生をなんとか生きていくためには、頑張ることや諦めないこと以上に、「じょうずにあきらめること」が重要になってきます。

”人生は「真っ白ではなく、といって真っ黒でもない、濁り切ったグレーなもの」であるということを受け入れていく作業です。”

ブルーハーツの「TRAINーTRAIN」という曲の歌詞で、”ここは天国じゃないんだ、かといって地獄でもない。いい奴ばかりじゃないけど、悪い奴ばかりでもない。”というのがありますが、まさにそのことですね。

じょうずにあきらめる力

”私たち心理カウンセラーの仕事の一つは、悩んでいる人が「努力してもなんともならない」という「過酷な現実」に少しずつ向き合い、人生を少しずつ、少しずつ「あきらめていく」そのプロセスをうまく支えていくことです。”

私は今まで、心理カウンセラーというのは、悩みを解決する魔法の杖を持っている人のことだと思っていました。しかし、本物のカウンセラーというのは、悩んでいる本人に寄り添いながら、一緒に悩みを溶かしていく。そのお手伝いをされる人のことだったんですね。

”人生の大半を占める「どうしようもないこと」「なるようにしかならないこと」を少しずつ、少しずつ、じょうずにあきらめながら、心の一番深いところだけはしっかり満たされた生き方を心得る。”

自分も含めて、いつもクヨクヨと悩んでしまう人は、「どうしようもないこと」や「なるようにしかならないこと」をいつまでも考えてしまう傾向にあるようです。そうではなく、「とりあえず今できること」に集中する。そのために「あきらめるべきことはあきらめる」。その方法を本書は教えてくれています。

おわりに

本書の最後に、著者の諸富先生が「半分あきらめる生き方」を提唱する理由を書かれていますが、その一つが、日本の社会を「安心してあきらめることのできる社会」「安心して失敗することのできる社会」「敗者復活のルートが多様、かつ細やかに整備された社会」にしたいという思いがあるからだそうです。

先生が日々のカウンセリングにおいて痛感しておられるのが、人生における「人並み」や「普通」にこだわり過ぎるあまり、「あきらめる」ことに不安や恐怖をおぼえてしまう人が、あまりにも多いということ。

”日本人は「人並み教」、「普通教」の信者、と言ってもいい面があります。安心して何かをあきらめることができ、安心して暮らすことのできる社会をつくっていくためには、私たちがまず自分をこの「人並み教」、「ふつう教」から解放する必要があります。”

私自身も若い頃は、「人並み」や「普通」から外れることを極度に恐れていました。

しかし今考えてみると、そもそも「人並み」や「普通」なんて、社会が創り上げた幻想でしかありません。

”「ふつう」であることをあきらめましょう。一人ひとりが自分のうちに抱いている「ふつう」の観念(イメージ)による束縛から自らを解放していくことが必要です。汝、ありたいようにあるべし!”

本書のタイトル中の「人生を半分あきらめて」というのは、決して人生そのものをあきらめてしまうのではなく、社会に蔓延する「ふつう」という幻想から自由になること。

そのことによって初めて自分の人生を歩んでいけるのだと思います。

人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書) [ 諸富祥彦 ]

「人見知り」の生き方

”私は極度の人見知りです。そのうえ、口下手、引っ込み思案という性向を抱えたまま、五十年近く生きてきました。”

本書冒頭のこの部分、共感しかありません。

自分もまったく同じです。

若い頃は、そんな自分を変えようと心理学や哲学など色々な本を読んでがんばってみましたが、結局なにも変わりませんでした。

しかしある日、そんな自分に愛想がつき、もうどうでもいいやと思った時、フッと心がらくになるのを感じました。いま思えば、「人見知り」という自分を受け入れた瞬間だったのかもしれません。

”実際、私はいま、とても幸せな生活を送っています。なぜなのか?それは「人見知り」として生きていこうと決め、それでもやっていける環境をつくってきたからです。”

著者の午堂さんもこうおっしゃっています。

本書は、そんな「人見知り」の人たちのための、環境づくりのヒント集です。

人見知りの生き方とは?

自分に合ったコミュニケーションの取り方をする

”人見知りに限っていえば、相手の意図するところを汲み取り、共感することで、相手を尊重している、というメッセージを発信することにまずは比重をおきましょう。”

コミュニケーション能力とは、全員に好かれるような気の利いた発言をすることや、スラスラとしゃべることではありません。「目的に応じて適切に意思疎通できる力」のことです。

人見知りの人が無理に明るく振舞ったり、饒舌にしゃべったりする必要は必ずしもありません。自分がやりやすい方法でコミュニケーションをとればいいのです。

人と比べず、能力を伸ばす

”内向的な人が外向的になろうと努力するのは、自分の本質に逆らう行為であり、非常にストレスフルで効果も低い。”

内向的で人見知りな人は、ついつい外向的な人と自分を比べてしまいます。しかし本来、「内向的」も「外向的」も、そのこと自体に優劣はありません。生きる世界が違うだけです。

その違いを、著者はこのように指摘します。

  • 外向的な人は外の世界に出て人と会い、刺激的な経験をしてエネルギーを得る。
  • 内向的な人は独りになり、自分の内部に向かって思索することでエネルギーを得る。
  • 外向的な人は、独りの時間が長く刺激がなければエネルギー不足になるので、外に出て人と会いたくなる。
  • 内向的な人は、外に出て人と会うとエネルギーを消費して疲れてしまうので、外部から刺激を受けるよりも、ひとつのことを独りでゆっくりと追求することを好む。

この「外向的」と「内向的」の違いを、生きるためのエネルギーという視点から説明してもらったのは初めてで、とても新鮮でした。要はそのエネルギーを、「自分を変える」ことに使うのではなく、自分の特徴を踏まえて、その能力を伸ばすことに使えということでしょうか。

人見知りの「強み」はたくさんある

本当のコミュニケーションとは

人見知りの人は「自分はコミュニケーションが苦手で、うまく話せない」と感じている人が多いと思います。しかし、それも悪いことばかりではないようです。

”コミュニケーションが苦手だと感じている人は、聴き手にまわることが多いので、相手の満足度が高まるなど、むしろ長所になりえます。”

たしかにおしゃべりが得意な人は、一見するとコミュニケーション上手なように見えます。しかし、ひとの話を聞かず、自分のことしかしゃべらないような人は、決してコミュニケーション上手とは言えません。

仮に話す力で劣っていても、相手の話をしっかりと聞く。そして目線や表情、身振り手振りといった、いわゆるノンバーバルな方法で自分の考えを伝える。

口下手には口下手なりのコミュニケーションの方法があるのです。

時代が求める内向的資質

私自身もそうですが、内向的な人は、メールなどの文章・テキストでのコミュニケーションを好む傾向にあります。インターネットやSNSが急速に発達している現在、非対面のコミュニケーション手段は、これからのコミュニケーションの主流になっていくのではないでしょうか。

”内向的な人が持つ、「口下手だけど論理的」「自己主張は不得手だけど、人の話をよく聞く」「対面や電話は苦手だけど、メールなどの文章を書くのは得意」という特徴が、より活かせる時代になるといえます。”

つまり内向的な人は、その持ち味である論理的思考力や文章による表現力を磨けば、外向的な人たちとも充分互角に渡り合っていくことができるのです。

自分の資質を活かせる仕事を選ぶ

著者の午堂さんは仕事柄、たくさんの経営者の人たちとの交流があるそうですが、そこにはある種の傾向があるようです。

  • ITベンチャーの社長の多くは、総じて無愛想で口数も少なく、ノリもあまり良くない。
  • 飲食業のオーナーは人懐っこい人が多く、周囲を楽しませる話術に長け、サービス精神が旺盛。

もちろん全ての経営者に当てはまるわけではありませんが、ここで著者の言いたいことは、

”成功しているひとは結局、自分の資質や適性を活かせる職業、活かせる分野を選んでいるからこそ活躍できているということです。”

当たり前といえば当たり前ですが、多くの成功者を見てきたひとの言葉には説得力があります。

おわりに

"人見知りで生きていこうと決めると、心が軽くなります。クヨクヨイライラすることが減り、日々を快適に過ごせます。本来の資質を生かして、自分らしく伸び伸びと充実した人生を送れるようになります。”

「はじめに」の一文ですが、本書を最後まで読むと、結局自分の人生を生きるというのはこういうことなんだなと、すごく納得できました。

”自分なりの哲学を持ち、自分なりの成功と幸福を定義し、それを実現する方法を考える。”

「人見知り」「内向的」「ネクラ」など、自分の性格に悩まされながら半世紀を生きて来ました。「成功」や「幸福」とは縁遠い人生でしたが、これから人生の後半戦、自分の資質や性格を見つめ直しながら、なんとか生きていけそうです。

「人見知り」として生きていくと決めたら読む本 [ 午堂登紀雄 ]

 

人生をやり直す

著者のキム・ヘナムさんは韓国の精神分析専門医です。

12年にわたって精神分析専門医を務め、数々の大学で教鞭をとったのち、自分の神経精神科医院を開業。多くの患者さんの治療にあたってこられました。

しかし40代前半でパーキンソン病を発症。投薬治療を続けながらも、仕事、家事、育児に励む日常をおくってこられたそうです。

現在は療養に専念しながらも数々の書籍を送り出し、著者累計では100万部を超えているベストセラー作家さんです。

私のような凡人からすると、数々の苦難を乗り越え、医師としても作家としても大成功をおさめた著者の人生は、まったく非の打ち所がないように思えます。

そんなキムさんですが、たったひとつだけ後悔することがあるそうです。

”一つだけ私が後悔していることがあるとすれば、人生をあまりにも「宿題をこなすように」送ってきたこと。”

そして、その後悔から、

”何事も完璧にやり遂げようとする欲望を手放し、放りっぱなしだった自分自身を大切にしながら生きよう。”

ということを悟られたそうです。

「宿題」をこなすような人生

そのレベルはまったく違いますが、自分もまさに「宿題をこなす」ように生きてきました。その結果、自分は本当は何がしたいのか、自分はどうありたいのかが分からないまま歳をかさねてきたように思います。私の他にも、そのような人は結構多いのではないでしょうか。

そして本書の冒頭は、こんな詩の引用から始まります。

もしも人生をやりなおせるなら、こんどはもっとたくさん失敗したい。

よけいなチカラをぬいて、いつもリラックスして暮らす。

そして、おかしなことをたくさんする。

もうなんでも深刻にうけとめることはやめる。

チャンスがあればなんどでも挑戦する。

もっとどんどん旅に出て、もっとたくさん山に登り、もっといろんな川で泳ぎたい。

すきなだけアイスクリームを食べ、むりして豆ばかり食べるのはよそう。

きっといまよりも問題は増えるかもしれない。

でも、頭の中のだけの心配事は減るだろう。

(ナディーン・ステア著「もしも人生をやりなおせるなら」)

この詩は、アメリカに住むひとりの女性が85歳のときに書いたもので、彼女は作家でもない、ごく普通の人だったそうです。私もこの詩を読んだ時に、共感しかありませんでした。

ちなみに、この詩の言葉をすべて逆転してみるとこうなります。

  • 失敗を極度に恐れる。
  • 人前では常に緊張する。
  • 周りからオカシイと思われないように行動する。
  • なんでも深刻にうけとめる。
  • チャンスがあっても挑戦できない。
  • その結果、人生の大問題を回避できても、頭の中は心配事だらけ。

まさに、心を病んでいたころの自分そのものだと思いました。

そんな私たちのような人のために、著者のキムさんが

”「人生の残り時間」を後悔なく生きる43のヒント”

として書かれたのがこの本です。

もし私が人生をやり直せたら

本書の最終章であり、本のタイトルにもなっている「もし私が人生をやり直せたら」の項から、とくに印象に残った部分を紹介したいと思います。

どんな失敗をしても、人生はやり直せる

キムさんのポリシーは「少しくらい怖くてもまず挑戦してみよう」だそうです。

そして本文中にもこう書かれています。

”失敗を恐れて、せっかくのチャンスを逃さないようにしてください。私の経験ですが、何度も失敗したからといって人生が台無しになるようなことはありませんでした。”

”もし私が人生をやり直せるなら、もっともっと、失敗したい。光の速さで過ぎ去る時間の中で、もっと多くの経験をし、ちょっとやそっとのことでひるんだりしない。そうやって培った経験が、いかに価値のあるものかをよく知っているから。”

世の中何事も、初めからうまくいくことなんてありえません。どんなに素晴らしい結果や業績も、トライアンドエラーの繰り返し。まずは打席に立つ、挑戦する、はじめの一歩の大切さを教えてくれる言葉です。

老いることを恐れない

私も50歳を過ぎ、「老い」というものをイヤでも意識せざるを得ない年齢になりました。加えて、78歳で認知症の母親を在宅で介護しており、「老いへの恐れ」というものをとてもリアルに感じています。

しかし、次の言葉をよんで、「老い」の意味を考えなおすことができました。

”今の私があるのは、60代の今日まで、闘病も含めてさまざまなことを経験したおかげです。その過程で強くもなり、おおらかな心を持ち合わせられたことも、世間を知り、幸せの何たるかを知ることができたのも、これまでの歳月が私にくれたプレゼントでしょう。”

タルムードの格言にも、「愚か者にとって、老年は冬である。賢者にとって、老年は黄金期である」とあります。

自分自身、平々凡々に生きてきたように思っていましたが、よくよく考えてみると、数々の試練や学びを経験してきました。その経験を活かすか殺すかが、愚か者と賢者を分けるのかもしれません。

おわりに

以上、数多くのヒントの中から2つだけ紹介させていただきましたが、本書には他にもこのような「人生を後悔なく送るヒント」がたくさん書かれています。

ご本人のパーキンソン病との闘いはもちろん、多くの患者さんを治療し、その人生を見てこられた経験から得られたヒントは、とても興味深く、説得力のあるものばかりでした。

そんな本書の中でも、私が最も感銘を受け、これからの人生に於いて心掛けていきたい言葉を最後に紹介したいと思います。

”この先、病気が進行して本を書くことができなくなったとしても、その時々でできることを探しだしながら楽しく生きていきたい。どうせ生きるのなら、楽しく生きていくほうがいいでしょう?”

もし私が人生をやり直せたら [ キム・へナム ]

 

しないことリスト

”思えば僕も昔は「しなきゃいけない」に追われていた。小さい頃から怠け者で、すぐ「疲れた」という子供だった。人と話すのも友達を作るのも苦手で、毎日学校に行くのがしんどかった。ずっと家で寝ていたかった”

「まえがき」の一文ですが、自分もまったく同じでした。

学校を卒業しても、常に「しなきゃいけない」に追われ、自分の気持ちを感じる余裕もなく、「義務感」のみで生きて来たように思います。

しかし、本書の次の言葉によって、教えられました。

”なぜしないといけないかが、自分でよくわからないことは、もうやめよう。まわりに理解されなくても、自分で実感の持てることや、自分のしたいことだけをやっていこう。”

そして、それを実践するためのポイントが、

  1. 他人や世間の評価で行動を決めるのではなく、自分なりの価値観を持つ
  2. 他人や世間のペースに無理についていこうとせず、自分のペースを把握する

の2つです。

本書には、この2つのポイントをおさえるための36個の「しないことリスト」がかかれています。

そこで今回は、その中から自分の心に残った、いくつかのリストを紹介してみたいと思います。

イヤなことをしない

「仕事というのは、イヤなつらいことを歯を食いしばって、ひたすら耐えてがんばってこそ成果を残せるのだ!」

最初に入った会社がバリバリ体育系のブラック企業だったので、先輩や上司から毎日のように言われていました。

しかし、著者のphaさんはそんな風潮を、

”大体、そういうことを言う人は、その人自身が「つらいことを耐えて何かをがんばる」というのが好きなだけで、単に個人の性癖だ。”

と一刀両断します。そして、

”仕事で成功を収めている人というのは、大体の場合、自分の適性を見つけて自分に向いていることをひたすらやり続けた人だ。「イヤなことでも歯を食いしばってやれ」という人もそうで、それは彼が「イヤなことでもがんばる」というのに向いていたというだけだ。”

”どんな場所でも長期的に生き残るのは、「自分のイヤじゃないことを自分に無理のないペースでやっている人」だ。”

ともおっしゃっています。

もちろん、現実の生活において、自分のイヤなことを完全に避けて通ることはできません。

だからこそ、自分が絶対にイヤなことや、頑張れないこと、そして完全に不向きなことは何なのかをハッキリさせておくことは、とても重要です。

自分を大きく見せない

”他人から期待されないほうが自分の好きなように行動しやすい。”

昔から、周りの評価を異常に気にする人間でした。

褒められたいとまではは思いませんでしたが、怒られたり、ガッカリされるのがとても怖かったことを覚えています。

しかし歳をとるにつれて、「そもそも他人は自分のことをそこまで考えていない」ということに気づきはじめると、とてもラクになりました。

”人に下に見られることを恐れる必要はない。僕は他人に下に見られることは、まあ当たり前のことなんじゃないかと思っている。”

実際、人に下に見られることを気にしなくなると、のびのびと行動することができます。

仕事でもなんでも、思い切ってやってみるのと、ビクビクしながら恐る恐るやるのでは成果がまったく違ってくるものです。

”自分が他人の世界のなかで取るに足らない存在であったり、他人の価値観でダメな人間であっても気にする必要はない。他人の評価なんてどうでもいい。自分が自分自身の世界のなかで、それなりに自己評価できるかが重要だ。”

他人の目ばかり気にしていた昔の自分に教えてあげたい言葉です。

完璧を目指さない

”大体、何でも突き詰めすぎると行き詰るので、ある程度のところで「妥協」とか「仕方ない」とか「適当さ」とかを導入したほうがいい。”

昔はよく、「妥協」「仕方ない」「適当」などの言葉を使って、先生や上司からお説教を喰らったものです。

しかし考えてみると、世の中の大半は「妥協」や「適当」で回っているのではないでしょうか。

確かに少しのミスも許されない、妥協できないこともありますが、しょせんは人間のすることです。必ずどこかに綻びが生まれます。

”生きるにあたって何か思想や信念を持つのはいいのだけど、あまりにもその思想や信念を完璧に実行しようとすると大体破綻する。”

本来よりよく生きるための思想や信念が、いつのまにか思想や信念を守ることが人生の目的になってしまうのはよくあることです。

どんなに素晴らしい思想や信念も、完璧ではありません。もし完璧な思想や信念があったら、社会はもっと良くなっていなければならないはずです。

”僕自身だってここに書いていることをいつも完璧に守れているかというと、そんなことはない。こんな感じでいきたいなと思ってるけど、よくうっかり失敗したりする。人生は勝ったり負けたりだ。”

別の本で読んだことがあるのですが、物事というのは基本的に、当初の計画通りに行くことはほとんどないそうです。

計画→実行→修正のトライアンドエラーを何度も繰り返し、その結果、目的地に到達する。

成功と失敗、勝利と敗北、その両方を受け入れなければ目標を達成することはできない。

常に完璧を目指し、完璧にこだわり過ぎていると前には進めません。

おわりに

以上、三つの「しないことリスト」を紹介してきましたが、本書の最後にある究極の「しないこと」を一つ。

”何もやる気がしないときは、可能な限り、「何もしない」をするのがいい。ひたすら「何もしない」をやっていたら、そのうち退屈にも飽き飽きして、「何かをやろう」という気持ちが湧いてくるかもしれないし、湧いてこないかもしれない。まあ、どちらでもいい。”

しないことリスト [ pha ]

 

文章を「書く」ということ

人生なんて「書く」だけで変わる

”まともに人と話せなくても、目が合わせられなくても、コミュ障でも、「書く」ことができたから、こうして今も生きていられていると思っています。”

この言葉に勇気づけられました。

今まで販売や営業の仕事をしてきましたが、何かしっくりきませんでした。

単に自分の能力が低いだけかもしれませんが、性格上の向き不向きだけはどうにもできません。

そんなわたしも、今は警備員として働いています。

与えられた業務を黙々とこなす。やるべきことがはっきりしていて、余計な会話や接客を必要としない今の仕事は、ほんとうに自分に向いていると思いました。

しかし、警備員の仕事は肉体労働。いつまで働けるか不安な部分もあります。

そんな不安から、他になにかできることはないかと考えてみるも、基本的に人と接するのが苦手でコミュ障、とくにやりたいことも趣味もない人間です。

これはどうしたものかと悩んでいたときに、この本に出会いました。

いままで本を読むのは好きでしたが、なにかを書こうと思ったことは一度もありません。

でも、なにか始めなければいけない。とりあえずなんでもいいから書いてみよう。

そんな思いから、この本を購入しました。

「書く」を好きになる

  • 書くのが好きになれば、習慣になって自然と上達する。
  • 書くのが好きになれば、自分の思いを伝えたくなる。
  • 書くのが好きになれば、真っ白な画面にワクワクするようになる。
  • 書くのが好きになれば、毎日が楽しくなる。

わたしも何かを書いてみようと思ったときに、色々な文章術の本を読んでみました。

しかし、どの本も、文章の書き方は教えてくれても、書きたい気持ちを刺激してはくれません。

モチベーションくらい自分であげろ、と言われるかもしれませんが、わたしのような人間には、それすらもハードルが高いのです。

そんな自分でも、この「書くのが好きになれば・・・」の4か条を読むと、なんだかやる気が湧いてきます。

「ヘタクソ」でも書いたもん勝ち

”「うまい」文章だけが、読まれる文章ではない。ヘタな文章でも、「世に公開すること」に意味がある。”

わたしは、ブログやX(旧ツイッター)で、自分と似た境遇の人(独身、介護、など)の文章を読んで、勇気づけられたり、楽しませてもらったりしています。

そんなとき読み手としては、文章の上手い下手はあまり気になりません。そのひとがなにを伝えたいのか、どんなことを考えているのかに興味があります。

でも、いざ自分が書き手になると、「うまい文章を書こう」とか、「誰かの役に立つものを書こう」とかを考えすぎて、結局当たり障りのない、面白みのない文章になってしまいます。

だから、「ヘタクソで結構」と開き直って、ありのままの自分の感情や考えを文章にぶつけていく。そしてそれを公開する。そうすれば誰かの目にとまって、そこから何かはじまるかもしれない。そう思ってとにかく書く、それが大切です。

過去の自分に向けて書く

”過去の自分に向けると、似た境遇の人に読まれる。「あすれば良かった」後悔は、未来の誰かを救う。”

むかしから極度の人見知りのため、何かあっても人に相談することもできず、ひとりで悶々と悩んでいるような人間でした。

そんな自分がなんとか生きてこれたのは、本のおかげです。

本には色々なひとの「成功体験」や「失敗体験」が書かれています。その成功や失敗の体験を自分のことのように読んで、自分自身の悩みや問題と向き合ってきました。

いまは本だけでなく、SNSやブログなどで、様々な境遇の人の知識や体験を共有できます。

自分にとってはあたりまえで、面白みのない体験や経験も、もしかしたら誰かの役に立つことがあるかもしれない。そんなことを考えながら文章を書いてみるのもいいかもしれません。

文章が人生の軌跡になる

”今を書き残しておけば、未来の自分が振り返ったときに軌跡が見える”

自分は本を読むときに、気になった所や、感銘をうけた言葉や文章があると、その箇所に付箋を貼ります。

しかしある時、その名言や名文を、実際の行動に活かせていない自分に気がつきました。情けないことですが、付箋を貼る行為そのものに満足してしまっていたのです。

そのことに気づいてから、付箋を貼ったポイントは、あとで必ずノートに書き留めておくことにしました。

そうすると、そのポイントとなった名言や名文だけでなく、そのときの自分の想いも記録できて、本に対する理解も深まっていくのです。このときほど、「書く」ことの大切さを痛感したことはありません。

おわりに

”感じたものを言葉にして晒していくことで、人生がどんどん開けていきます。即効性はないかもしれないけれど、コツコツ続けていけば、絶対に身になっていく。一生役立つ大切なことです。”

本を読むこと以外に趣味のない、自分のような人間でも、人生を開いていくことができる。

そんな勇気をもらえる一冊でした。

書く習慣 [ いしかわゆき ]